発覚から60年経つ公害病のこと。

                          ■半農半筆〜あるいはPROFILE
                          ■カテゴリやコメント一覧等のメニューは ↓ スクロール端末にあります。


a0118120_15201577.jpg
 身近にある、液晶が使われたツールを集めてみた。
 ノートPC2、タブレットPC1、ガラケー1、WiFi端末1、デジタルカメラ4。茶の間に行けばブラウン管時代に比べてはるかに大きな液晶テレビがあり、FAXや電話の親機・子機にも小さなディスプレイ。あ、クルマの運転席にもディスプレイはいくつもある。あらためて自分もその恩恵にとっぷり浸りまくりに違いない。事実として文明の利器。液晶の製造技術は世界じゅうでも数えるほどの企業しか有していないそうだ。その1つが、チッソ(現社名)という企業の一部門だったJCN。世界中で使われる全液晶の3分の1を製造しているらしい。
 チッソという企業は終わっているとばかり思っていた。営利生産事業の歴史を終えた、と。水俣病補償のためだけに存続していると聞いたからだ。でもそうではなかった。莫大な利が上がる部門を分社化し、現代を底支えするベーステクノロジーで広く深く、もはや分かちがたく根を張りめぐらせて生き続けている。JCNだけではない。チッソが母体となって旭化成、積水化学工業と積水ハウス、信越化学工業など、ケミカル素材をコアテクノロジーに据えた企業も生まれて存続している。近代日本の歴史と常に足並みを揃え、戦争の影で浮き沈みしながらも、史上最悪の公害病を引き起こそうとも確実にこれら素材産業は生きながらえてきた。

a0118120_15213016.jpg 
 
事実を見つめて、考える場所。
そうしたことを、一般社団法人水俣病センター相思社の水俣病歴史考証館で初めて知った。

 九州旅の2日目に選んだ水俣市。案内人はきっと市立の水俣病資料館に連れてってくれると思っていたところ、たどり着いたのは、丘の細道を上りに上った、小さな屋根が並ぶこの館だった。遠くに不知火海がかすんで見える。事前にネットで見ておいた市の館に比べて、有り体に言えばなんと粗末なことか。でも敷地内の事務所棟も含めてていねいに維持し使い続けられ、静寂と落ち着きに満ちている。
a0118120_15231092.jpg

 館内の展示は、それはそれは生々しく克明。じわりと暑いのは、こもった炎暑と湿度のせいだけではなく、それらを観た生理反応もあるのではいかと思ったくらい。水俣病の歴史、病理の解説、原因追求と訴訟の経緯、事実の否認と隠蔽の積み重ね。報道資料。猫による実験が行われた小屋の実物。原告団が手に手に持った「怨」を染め抜いた黒い幟。健康と生命を蝕んだだけでなく、小さな家族・親族や村社会のつながりを切り刻み、連鎖する憎悪と差別を植えつけた。凄まじい破壊力。
a0118120_1524088.jpg 案内人がここに連れてきてくれた大きな理由は、公的施設よりも高い「温度」とリアリティ、ある意味で「誰かの息がかかってない透徹さ」が通底しているからだろう。館の名称を「資料館」とかにしなかった理由も、とても共感できる。単なる博物施設の名を与えられることで、水俣病が過去のものになってしまうことを回避したのだ。
 チッソ(現在の社名)という会社は水力などの発電事業を立ち上げ(1906)、その電力を利用し化学製品を大量生産するビジネスモデルで成長してきた。最初に生産したのはカーバイト(1907)。まもなく(1914)それを原料に硫酸アンモニウム(硫安肥料)の製造を始める。水俣湾へのヘドロの放出はこの時から始まった。硫安肥料といったら、拙宅には子供の頃から常備されている、袋の色さえすぐに思い浮かぶ肥料である。堆肥や人の糞尿で補っていた肥料を、成分で直接散布できるという変革が、高度成長期の食糧増産にどれだけ働いてきたかしれない。硫安の製造は比較的容易な応用でプラスチックの材料となるアセトアルデヒド製造にステップできる。触媒として使われた無機水銀が有機水銀に変じ、それを未処理で垂れ流した(1932〜)ことで水俣病は発生した。

行く末を誤らない方法はあるか。
 チッソに由来する企業の製品やサービスを改めて見ると、そのコアテクノロジーは腐らない、腐りにくい素材が多いように思う。ノスタルジーで言うわけではないけれど、そもそもの生活というもの、使いまわせる素材、最終的には腐って土に還る素材で成り立っていたメンテナンス型の社会だ。それが、「腐らない」「買い替える方が便利」という利点にずいぶん簡単に載ってしまったように見える。手っ取り早くて安上がり。ビニールクロスやプラスチックが「カラフル」で「美しい」という、まったくもって一方一面的な価値観にまで。購買する側は物欲を満たす快感も知って酔いしれたのだと思う。日用品だけでなく自動車や家までも今は消費財だ。でも壊した後の、「もう要らない」を言った後の、燃やすことも再利用もできない残渣は、この国のどこかに埋められていくのだ。道路、橋、鉄道といった社会資本さえも新設ばっかり増やしたせいで、メンテナンスの費用が絞り出せない声が耳に届くようになった。いつまでこんな道を走り続けることができるのだろう。
 だったら、である。自分にたいしたことができるとは思わないけれど、そうではない暮らし方もまた執念深く、愉しみながら実践していくことでカウンターを当てよう。それ以外にないのではないか。一度使い始めたものは、簡単にゴミにしない。ゴミにする時は、未処理や違法廃棄など言語道断。少なくとも直接環境を汚すことがない処理法に則って徹底する。山川森海に親しむ。身近な木や花を愛でる。食べるものの種を育ててみる。木や草、それらに由来する布のように腐る素材、ガラスや陶器など使い回しができる素材を選ぶ。可能な限りいつまでも永く使おう。そうしていくことが、亀の歩みではあろうけれども、水俣病を生んだ暮らし方から舵を切る道筋と信じたい。
 水俣病歴史考証館に、ドラム缶が4mの高さに積み上げられていた。水俣湾の汚染されたヘドロが堆積しているその厚みだという。いま水俣広域公園となっている場所がそうで、ヘドロ層は8mの客土の下に、海中ではコンクリート擁壁を築いて外の環境と隔離されている。
a0118120_15251523.jpg

 地域の自然環境と食を汚し尽くして招いたこの危機は、60年経とうというのに収束はしていない。何も学ばなければ、道をまた誤れば、どこかに水俣病は形を変えてあらわれる。といえば、福島第一原発事故もまた同じような道をたどっていると思えてくるし、実際そうではないだろうか。経済最優先の国策に載って、「使い捨て素材」とか目先の「安い電力」の生産で経済を回す。雇用と税収をぶら下げて地方を隷属させる。いざ取り返しの付かない事故が起こっても、その事実と責任を企業も行政も簡単には認めない。この間半世紀以上も、何の改善、進歩があったというのだろう。
 賢い生活者にならなくちゃ。新しく登場するテクノロジーや仕組みが信頼に足るものか、くれぐれも調べなくちゃ。権力を預ける人(与えるんじゃない。代行してもらうんだ)、生活の行く末を左右する人は、慎重に選ばなくちゃ。次の災禍は、未然に抑えこまなければならない。それは抽象的な杞憂では決してないのだから。
# by kawa-usso | 2016-06-29 15:25 | 雑感、いろいろ。

季刊[住む。]取材から1年、はまぐり堂へ。

                          ■半農半筆〜あるいはPROFILE
                          ■カテゴリやコメント一覧等のメニューは ↓ スクロール端末にあります。


a0118120_13114254.jpg 村ににぎわいを。まちに交流を。
 過疎地域のあっちでもこっちでも続いているトライアル。成功事例とか、「移住定住者ン十人」と伝えられるスポットも耳にする。容易なことではありえない。それでも自分が直接たずねた中で、ここはなんとかなるのではないか、と感じられる場所がある。[3.11]の津波で被災した、牡鹿半島の蛤浜(はまぐりはま)だ。「なんとかなる」とは、自らの意志と職能で外からのにぎわいを常に集め、定住者を増やしていく目算が立っていく、ということ。震災前と同等の暮らしを取り戻すのではなく、新たなその土地らしい暮らしを整えていく創造でもある。拠点のカフェ「はまぐり堂」は、心地よさや「今っぽさ」が耳目を集めるけれど、足取りは地道そのものだ。思い描く未来に一歩ずつ近づいている、どこよりも強い足音を、蛤浜には感じる。
 昨年の11月、季刊「住む。」52号の記事「再び、住む。」取材のためにたずねた。あれから1年。たまにコーヒーを飲みに立ち寄ってもいたが、代表の亀山貴一さんと話をするのは久しぶりだ。

a0118120_13181212.jpg


―取材から一年経ちました。スタッフが新しくなったそうですね。

a0118120_13184974.jpg亀山 スイーツを作っていた1人が独立して、佐沼(石巻から北へ40kmのまち)にカフェを開きました。パンを焼いていた1人も卒業。新しく、三本木の天然酵母のパン屋さんで働きながら、鳴子で里山カフェとかイベント企画に取り組んでた人、体にやさしい食に興味がある方が入ってくれました(地名はいずれも宮城県内)。人数的には1人増の7人ですね。蛤浜創世の第二期に入ったように感じています。

―ゲストハウスに予定していた隣家もショップになりました。




a0118120_13194156.jpga0118120_13243380.jpga0118120_13251044.jpg
亀山 はい、仙台で古道具などを商う「紫山(しざん)」と、石巻・牡鹿周辺のクラフトを扱います。それと、ダルちゃん(スタッフ島田暢さん)が作る家具とか、鹿皮や角のクラフトも始めました。今日はダルちゃんが鹿の解体をしに出かけているんですよ。

a0118120_1326117.jpg島さんは、はまぐり堂を立ち上げる当事からのスタッフ。重機免許を持ち、手先が器用で、建具や左官仕事、木工内装などを、オリジナリティたっぷりの発想でこなしてしまう、蛤浜のザッツ・クラフトマンだ。牡鹿半島に生息する鹿の肉は、これまでもカフェの香ばしいカレーに変身して人気を集めてきたが……。

亀山 この前、私とダルちゃんで狩猟免許とったんです。まずは罠の。いずれ鉄砲もと思っているんですけど。京都で狩猟サミットがあって行ってきまして、先進事例がいっぱい集まっていました。自分たちにもできる!って、確信して帰ってきたんです。
 いま若い人が狩猟に興味を持っていますよ。猟師さんの高齢化が進んで、鹿は増えていますけど、環境を守りながら共存していく方法を探している人が全国にたくさんいる。これまで猟師さん頼みだったものを、自分たちの力で、駆除をしながら余すところなく活用していく道を探し始めています。皮細工や角クラフトも、ダルちゃんが作ってくれるんですけれども。


―僕も昨年、鹿の解体を見学して、鹿肉料理も食べる催しに参加してみました。イタリアンのシェフらと猟師さんの企画でしたけどね。遠いと思っていた狩猟が、身近なものに感じられました。

亀山 農業とか漁業は見えやすいけど、猟の世界はこれまでなかなか見えませんでした。野生動物だったものが、解体が進むほど、だんだんと美味しそうになっていくんですよね。肉の味も当初は固くて臭いのかなと思っていたけど、ぜんぜんおいしいんですよね。今度鹿肉の大和煮缶を売りだしました。「木の屋石巻水産」さんとのOEM連携で。
 石巻、河北、女川の猟友会の共同で利用できるような施設・仕組みを作って、この地域資源を使っていけないかなという思いはありますね。北海道が最先端の地で、向こうではスーパーで売ってたり、子どもたちの給食に出されていたりするんですよ。ふだん食とか食育のレベルまで行ってる。店ではジビエとしての高い価値も保ちながら、子どもたちにも広めながら、生業として成り立っていくようにしたいですね。

a0118120_13284536.jpg



―家具は蛤浜の木ですか?

a0118120_13313593.jpg亀山 地元の製材屋さんから仕入れた石巻産の杉材ですね。一緒に活動している団体から注文をいただいて製作しているんですけど、個人向け販売はもうちょっと先になると思います。いずれは自伐林業で、蛤浜の木も使ってやりたい。カフェは軌道に乗ってきたので、狩猟と林業を、ちっちゃいけど六次化させて、販売を強化していこうというのが始まったとこなんですね。

―石巻エリアを紹介する情報誌ならばフリー・店売り問わず、ほとんどにカフェは載っているでしょう。一歩ずつ歩んできているような気がするからとても好ましく感じていました。

亀山 実は島根の群言堂が目標で、一度スタッフで研修に行ってきました。会長の松場大吉さんは「損する方と得する方があったら、必ず損する方を選ぶ」と言われていた。あえて選ぶと。そういう意味がだんだんわかってきました。大きな話は我々が目指す所とは違うなあと。あえて飛びつかずにいきたいんですよ。

―農家レストランでも加工品でも、能力がある人は、必ずビジネスチャンスを謳ってコンタクトされたことがあると言います。蜘蛛の糸みたいなのが降りてくることがあるんですよね(笑)。

亀山 時々ぴゅーっと(笑)。登り切る前にぷつんと切られたりしてね。チャンスを与えられて、幸運なことでもあるんだけど、足元から一段ずつ積み上げてきたつもりだし、そういうほうがいいです。限界集落でも残っていける方法が確立できたらと思うんですよ。

a0118120_1332139.jpga0118120_1333127.jpga0118120_13323564.jpg

a0118120_13414867.jpg 
 山形の東北芸術工科大学の協力で、3名の作家が一ヶ月づつの個展をひらく「鹿画廊」もスタートした。それぞれの作家が牡鹿半島を訪れ、感じたインスピレーションで作り上げた作品が並んでいる。
第1回は~1月17日(金)まで。お出かけを。

はまぐり堂公式ウェブサイトはこちら フェイスブックもあります。 
 
# by kawa-usso | 2015-12-24 13:29 | ●住めば都的トウホク。

環境保全米?

ああ今年の作もヲワタ。
とかなんとか、ほっとしている暇もなくこんなもんが届いてるのな(しかも締め切り15日)。よく言やあ商魂たくましい。ふつうに言えば、こういうとこだけ抜け目ない。
a0118120_0235059.jpg
農協の米の栽培タイプ分類には、主に特別栽培とS基準(慣行栽培)の2種がある。特別栽培は「慣行栽培に比較して化学合成窒素成分(化学肥料)2分の1以下、&農薬2分の1以下」。これを宮城県では「環境保全米」の呼称で広めているわけです。
条件を農薬に絞って言うと、特別栽培は農薬の成分カウントが、いしのまき農協の場合は8以内。1成分の農薬を1回使用すれば1カウント、2回使用すれば2カウント、という計算法だ。慣行栽培であるS基準はカウント17以内(いしのまき農協)。
拙宅は特別栽培米(環境保全米)ではなく、S基準である。じゃ農薬カウントは17に近いのか?
いいえ。農薬カウントは8。特別栽培米と同じである。違いはといえば、ひとつの防除目的に対応する農薬数種の中から、農協が「特別栽培米用」と認定した農薬を使っているかどうかであって、成分カウントはどの薬剤を選んだってほとんど変わらない。S基準用は効果が小さくて他種類・他回数を使わなければならない……というわけではない。そもそも農薬を17成分カウント前後使っていたのは今から20年以上前のこと。成分8以内で特に難しくもなく、おおむねの病気や雑草を防除することはできる。カメムシも、畦畔の雑草刈である程度コントロールすれば、悪名がささやかれる「ネオニコ系」のカメムシ防除剤を使わなくてなんとかなると僕は考えている(カメムシ食害の斑点米と、等級基準&流通の問題はまた別の機会に)。
そもそも特別栽培米〜宮城県でいう環境保全米に適用される農薬成分の何が環境保全なのか。農家や購買者に理解できるような根拠はどこを探しても見つけることができない。温湯消毒機の開発で種子消毒剤を完全に不要のものとしたことは評価できるとしても、赤とんぼやイナゴすら消えてしまった田んぼで環境保全もなにもないだろう。この薬剤で影響を受け得る生物に「トンボ」とか「イナゴ」って、"きちんと”表記してある環境保全米用農薬て何なのか。
さて何が言いたいのかつったら、要するに「言行は一致させようや」ということなのだ。僕自身は無農薬で栽培するノウハウは持っていないし、研究の途にさえ着くことができない。
けど看板に偽りありのもので「環境を守ってます」なんて、口が裂けたって言えやしねえ。
なので、堂々とうちの米はフツウです。現代の慣行栽培です。はい。
# by kawa-usso | 2015-10-06 00:24 | ●(備忘録)田んぼ2015


ササニシキ偏愛の米農家兼フリーライター。みやぎ石巻(本宅)&いわて花巻(小屋)……長大な北上川河畔の南北拠点から、東北6県の[農林漁業と食住の文化]を観て聴いて報告する「じぶんメディア」


by kawa-usso

プロフィールを見る

カテゴリ

●PROFILE
●(備忘録)田んぼ2015
●住めば都的トウホク。
▼[以下はすべてアーカイブ]
FOOD×風土@とうほく
酒、肴、菜、飯。
手の仕事、表現。
NB(猫バカ)&生きもの。
本の話題と掲載誌。
クルマ、ギア、グッズ。。
私立 東北雑貨屋研究所
農都共棲(農と住む)。
花巻小屋とカヌー。
宮手県の風景。
震災を越えて。
いま田んぼでは2014。
いま田んぼでは2013。
いま田んぼでは2012。
いま田んぼでは2011。
いま畑では2011。
雑感、いろいろ。
いま畑では2010。
いま田んぼでは2010。
いま畑では09。
いま田んぼでは09。
教育ファーム。

検索

最新のコメント

リキテックスの、空気のよ..
by kawa-usso at 08:21
すてきな言葉でご紹介くだ..
by torira at 00:15
MAさま あいや こち..
by kawa-usso at 00:25

twitter

  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。

フォロー中のブログ

いわてぐらし。
Botanic Jour...
blogとりら

以前の記事

2016年 06月
2015年 12月
2015年 10月
more...

人気ジャンル

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31