4月2日、17時15分。
ゴメンナサイ、長いです。
空気に味はあるだろうか。田舎の空気はおいしい、と言われることがあるけれど、多くは1)排ガスや工場などの臭気がない。2)かわりに草や土のにおいなどが香っている。・・・ことなどを真意にした慣用表現ではないのだろうか。そうではなく、空気そのものにおいしさはあるのだろうか、というハテナを抱いた。もし、もしも姉がもう一度、自らの胸をたっぷりと空気で満たすことができたなら、空気のおいしさというものを、味わい分けるのではないかと思ったからだ。
姉はこの3年ほど、在宅酸素吸入を受けながらウチで療養生活を送ってきた。自室に置かれた酸素吸入治療機が、空気中の酸素を濃縮し、送り出す。それをチューブで受けながら、台所へ、風呂場へ、トイレへ。生活の9割以上は、ベッドの上であった。外出は、ボンベを積んだカートを連れて。
一番の愉しみは、友人に送迎を甘えつつファミレスで談笑。そして僕の友人が経営する美容室へおもむいてのヘアカットである。ふつうの暮らしに比べればずっと単調な毎日を送りながら待っていたのは、脳死による臓器提供者(ドナー)であった。
受容者(レシピエント)登録をしてから、約2年。登録した時点で、姉の前にはおよそ120人の先行待機患者がいた。血液型Bに限って言えば、約20名。
年明けの1月、臓器移植コーディネーター氏から、「おそらく、いま5番手以内に入っています。提供者ありの連絡に何時でも対応できるよう、家族で話しあっておいてください」と連絡があった。蜘蛛の糸のような望みが、少し太くなったような期待をもったのは、当然誰よりも、姉本人。臓器移植治療そのものに、人の賛否はあろうと思う。本人は、提供を受けて生きたいと願った。賛否の理は別にして、応援するのは家族の、当たり前の務めだと思っている。
けれど4月2日、姉は待ちきれなかった。病から逃げきることができなかった。僕はいつもと同じように一緒に朝メシを摂り、取材へ出かけた。姉は昼には台所に出てきて自分でカップラーメンなどこさえて食べていたそうだが、夕方に母親が部屋をのぞいた時、いつも座っているベッドの端に仰向けに倒れて、あらゆる反応がなくなっていたらしい。
急逝もさることながら、仕事のための外出とはいえ、最も焦り動転した辛い瞬間を、母に味わわせてしまったっことを悔やんでいる。
救命センターの所見で、姉の命を絶った直接の原因は「間質性肺炎による肺線維症及び肺高血圧と思われる」とだけされた。17時15分に認定。美空ひばりの死因と同じである。違うのは、美空のそれは原因がわからない「突発性」。姉の間質性肺炎は、膠原病のひとつに数えられる全身性強皮症(きょうひしょう)に由来する。字の当て方から読めば、皮膚が強張る(こわばる)病。確かに症状は指先などの強張りから現れる場合が多いけれど、皮膚だけというなまやさしいものではなかった。腎臓が強張り、腎不全を起こす。胃と食道が硬くなり、噴門が閉じなくなって胃液が逆流して食道を傷める。そして、肺が硬くなる病変では、肺胞がふくらまなくなる。つまり息ができない。
膠原病は、自己免疫性症候群である。本来、じぶんを守ってくれるはずの免疫が、体の組織を攻める。攻められた体の膠原質(=コラーゲン/結着性のあるタンパク質)が炎症性の病変をきたし、その部位がどこかによって6つの病気に分類されるという。関節にくれば、リュウマチ、といったように。
強皮症は、攻撃された部位で膠原質が必要以上に生成され、細胞の一つ一つが膨れ上がってしまうのだ。しかもその膠原質は正常なものでなく、炎症性で。ステロイド剤や免疫抑制剤で免疫機能を抑えれば、症状の進行は抑えられる。が、風邪などにかかりやすく、ガンを発症しやすくなる諸刃の治療法である。しかも根治はできず、あくまで対症療法に過ぎない。腎臓の症状にだけは特効薬が開発され、かつてのように尿毒症で死亡する例はほぼなくなったという。
姉は7年前の春に入院し、専門医の診断が確定した時点で、肺の3割がすでに線維化を起こしていた。秋にようやく退院できたが、激職であるツアーコンダクターを辞めることに。それでも2年間は酸素吸入もまだ必要なく、仙台のパソコン教室に通って資格を取った。
そのかいあって、身障者雇用に積極的な会社に雇ってもらえたが、肺の機能は少しずつ落ちていたようだ。肺高血圧にならないように、毎時5リットルの酸素吸入治療が始まり、自室と会社の事務所内に酸素吸入機が置かれた。通勤は酸素ボンベを持って、クルマを運転する。
そんな生活が1年続いた一昨年の春、軽い心不全を起こして再入院した。やはり肺の線維化は進んでいたのである。足りない酸素量を血流で補おうと心臓が過労し、肺高血圧になっていた。酸素の供給量は倍に増え、以後の暮らしは基本的には安静で過ごすこと。所見では、「この状態で3年もつことはありえない。1年か、2年。その間に、急激に心停止に至る急性増悪症状を引き起こす可能性もある」。
この一言だけは秘して、酸素吸入から開放される治療法は肺移植しかないことを本人に知らせ、受容登録の判断を委ねた。良くも悪くも、専門医の見立ては正確なものである。
いまなぜか鮮やかに思い出すのは、PC教室からの帰り、石巻駅のホームを歩く姉の姿である。酸素吸入をはじめていない頃、駅まで送迎するのが家族の仕事のひとつになっていた。遠くからでも姉の姿はわかるのだ。電車から吐き出される人たちに次々と追い越される人影が。
膠原病患者の9割は女性で、30代以降に発症する割合が高いといいます。なぜかは、発症の仕組み自体とともに明らかになっていません。当ブログを見てくださっている方には、この病気を発症しやすいコアな年齢帯であられる方が多いです。脅かすつもりはまったくありません。この病気への警戒も含めて、健康には十分すぎるほどにご注意いただきたいのです。膠原病イコール死でもありません。軽いうちに発見されれば、予後は十分に期待できるようです。ただ、重くなれば、暮らし方は確実に悪い方へ転じます。どうか、くれぐれもご自愛ください。
姉によくしてくれた方へは、感謝をしきれませんが、この場でもお礼申し上げます。ありがとうございました。
すこしばかり、当ブログをコメント欄ともども、休もうと思います。と今は言っておくだけで案外、再開は早いかもしれないし、いかなるご心配にも及びません。
仕事の進行に影響を与えることもありません。必要な各位にはすでにご連絡をさしあげました通りであり、7日(水)から渡辺売文舗は次の取材に動きます。
ご連絡はいつでも、メールで、あるいはケータイへご遠慮なく。
(kawa-usso)渡辺 記
空気に味はあるだろうか。田舎の空気はおいしい、と言われることがあるけれど、多くは1)排ガスや工場などの臭気がない。2)かわりに草や土のにおいなどが香っている。・・・ことなどを真意にした慣用表現ではないのだろうか。そうではなく、空気そのものにおいしさはあるのだろうか、というハテナを抱いた。もし、もしも姉がもう一度、自らの胸をたっぷりと空気で満たすことができたなら、空気のおいしさというものを、味わい分けるのではないかと思ったからだ。
姉はこの3年ほど、在宅酸素吸入を受けながらウチで療養生活を送ってきた。自室に置かれた酸素吸入治療機が、空気中の酸素を濃縮し、送り出す。それをチューブで受けながら、台所へ、風呂場へ、トイレへ。生活の9割以上は、ベッドの上であった。外出は、ボンベを積んだカートを連れて。
一番の愉しみは、友人に送迎を甘えつつファミレスで談笑。そして僕の友人が経営する美容室へおもむいてのヘアカットである。ふつうの暮らしに比べればずっと単調な毎日を送りながら待っていたのは、脳死による臓器提供者(ドナー)であった。
受容者(レシピエント)登録をしてから、約2年。登録した時点で、姉の前にはおよそ120人の先行待機患者がいた。血液型Bに限って言えば、約20名。
年明けの1月、臓器移植コーディネーター氏から、「おそらく、いま5番手以内に入っています。提供者ありの連絡に何時でも対応できるよう、家族で話しあっておいてください」と連絡があった。蜘蛛の糸のような望みが、少し太くなったような期待をもったのは、当然誰よりも、姉本人。臓器移植治療そのものに、人の賛否はあろうと思う。本人は、提供を受けて生きたいと願った。賛否の理は別にして、応援するのは家族の、当たり前の務めだと思っている。
けれど4月2日、姉は待ちきれなかった。病から逃げきることができなかった。僕はいつもと同じように一緒に朝メシを摂り、取材へ出かけた。姉は昼には台所に出てきて自分でカップラーメンなどこさえて食べていたそうだが、夕方に母親が部屋をのぞいた時、いつも座っているベッドの端に仰向けに倒れて、あらゆる反応がなくなっていたらしい。
急逝もさることながら、仕事のための外出とはいえ、最も焦り動転した辛い瞬間を、母に味わわせてしまったっことを悔やんでいる。
救命センターの所見で、姉の命を絶った直接の原因は「間質性肺炎による肺線維症及び肺高血圧と思われる」とだけされた。17時15分に認定。美空ひばりの死因と同じである。違うのは、美空のそれは原因がわからない「突発性」。姉の間質性肺炎は、膠原病のひとつに数えられる全身性強皮症(きょうひしょう)に由来する。字の当て方から読めば、皮膚が強張る(こわばる)病。確かに症状は指先などの強張りから現れる場合が多いけれど、皮膚だけというなまやさしいものではなかった。腎臓が強張り、腎不全を起こす。胃と食道が硬くなり、噴門が閉じなくなって胃液が逆流して食道を傷める。そして、肺が硬くなる病変では、肺胞がふくらまなくなる。つまり息ができない。
膠原病は、自己免疫性症候群である。本来、じぶんを守ってくれるはずの免疫が、体の組織を攻める。攻められた体の膠原質(=コラーゲン/結着性のあるタンパク質)が炎症性の病変をきたし、その部位がどこかによって6つの病気に分類されるという。関節にくれば、リュウマチ、といったように。
強皮症は、攻撃された部位で膠原質が必要以上に生成され、細胞の一つ一つが膨れ上がってしまうのだ。しかもその膠原質は正常なものでなく、炎症性で。ステロイド剤や免疫抑制剤で免疫機能を抑えれば、症状の進行は抑えられる。が、風邪などにかかりやすく、ガンを発症しやすくなる諸刃の治療法である。しかも根治はできず、あくまで対症療法に過ぎない。腎臓の症状にだけは特効薬が開発され、かつてのように尿毒症で死亡する例はほぼなくなったという。
姉は7年前の春に入院し、専門医の診断が確定した時点で、肺の3割がすでに線維化を起こしていた。秋にようやく退院できたが、激職であるツアーコンダクターを辞めることに。それでも2年間は酸素吸入もまだ必要なく、仙台のパソコン教室に通って資格を取った。
そのかいあって、身障者雇用に積極的な会社に雇ってもらえたが、肺の機能は少しずつ落ちていたようだ。肺高血圧にならないように、毎時5リットルの酸素吸入治療が始まり、自室と会社の事務所内に酸素吸入機が置かれた。通勤は酸素ボンベを持って、クルマを運転する。
そんな生活が1年続いた一昨年の春、軽い心不全を起こして再入院した。やはり肺の線維化は進んでいたのである。足りない酸素量を血流で補おうと心臓が過労し、肺高血圧になっていた。酸素の供給量は倍に増え、以後の暮らしは基本的には安静で過ごすこと。所見では、「この状態で3年もつことはありえない。1年か、2年。その間に、急激に心停止に至る急性増悪症状を引き起こす可能性もある」。
この一言だけは秘して、酸素吸入から開放される治療法は肺移植しかないことを本人に知らせ、受容登録の判断を委ねた。良くも悪くも、専門医の見立ては正確なものである。
いまなぜか鮮やかに思い出すのは、PC教室からの帰り、石巻駅のホームを歩く姉の姿である。酸素吸入をはじめていない頃、駅まで送迎するのが家族の仕事のひとつになっていた。遠くからでも姉の姿はわかるのだ。電車から吐き出される人たちに次々と追い越される人影が。
膠原病患者の9割は女性で、30代以降に発症する割合が高いといいます。なぜかは、発症の仕組み自体とともに明らかになっていません。当ブログを見てくださっている方には、この病気を発症しやすいコアな年齢帯であられる方が多いです。脅かすつもりはまったくありません。この病気への警戒も含めて、健康には十分すぎるほどにご注意いただきたいのです。膠原病イコール死でもありません。軽いうちに発見されれば、予後は十分に期待できるようです。ただ、重くなれば、暮らし方は確実に悪い方へ転じます。どうか、くれぐれもご自愛ください。
姉によくしてくれた方へは、感謝をしきれませんが、この場でもお礼申し上げます。ありがとうございました。
すこしばかり、当ブログをコメント欄ともども、休もうと思います。と今は言っておくだけで案外、再開は早いかもしれないし、いかなるご心配にも及びません。
仕事の進行に影響を与えることもありません。必要な各位にはすでにご連絡をさしあげました通りであり、7日(水)から渡辺売文舗は次の取材に動きます。
ご連絡はいつでも、メールで、あるいはケータイへご遠慮なく。
(kawa-usso)渡辺 記
by kawa-usso
| 2010-04-05 03:24
| 雑感、いろいろ。