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細かいことだが気に障る「たとえ」。

 どうも「たとえ」の誤用が多すぎやしないか。
 「呼吸する家」というのがその一つ。これは木材や和紙、土壁や漆喰壁が、空気中の湿気を吸収着あるいは排出する現象をたとえた表現である。生きものが息を吸って吐く活動になぞらえることによって、無機的でない、生命感をともなっている印象を与えることができるために編み出された表現と推察できる。
 厳密には、木材はいかなる呼吸もしていない。呼吸というのは体内に酸素を取り込み、二酸化炭素を排出することなのだから。
 具体的にいきまひょ。
 「木材は呼吸する素材と言われ、……」と、たとえであることを明確に述べればノープロブレム。「木の家は呼吸しています」「木は、呼吸する素材」と言い切ってカタログやCMをつくるのは、誤用ゾーンへ越境している。
 「まわりくどい」とか「インパクトが弱い(お決まりのセリフ)」とか、注文がつくことは十分に想像できるのだが。
 長きに渡る日本語文化の中で、慣用句として成立している言葉ならそんなややこしいことは要らん。「道草を食う」は、まずどんな人にも「=寄り道」と即座に理解されるのだから。「呼吸する〜」は、どう考えてもそんな慣用句のレベルにまだまだ達していないだろう。

 「たとえ」に終始して説明不十分で終わっている、あるいは放棄しているケースもある。農家直取引の店[ちいさな野菜畑]の入道氏による、NHK[プロフェッちょナル]についての批評も、補足解説がない「たとえ」に及んでいる。

(登場した農家は)
「稲と語り合える」と言っているが、それは表現の仕方で栽培は、観察力である
どんな状況にあるのか、葉色、葉の形、株数、茎数、田植えからの日数、葉の枚数、品種の特製等々、稲の状態を見て判断する。
篤農家の観察力は、すごいものがある。毎日毎日、稲と向き合っているからであろう。
それを「稲と語り合える」と表現するのは、表現の自由だが…
ちょっとした篤農家なら、当たり前のことである

 11月6日投稿「農業に奇跡はいらない」より。

 百歩譲って手練の農業者自身はそう言ってもよい。自分に酔っている場合も含めて(ひくけどさ)。が、稲が声帯をふるわせて発する言葉を鼓膜の振動を介して耳から聴いている農業者はいないわけで(こういう言い方もガチガチに堅いな/笑)。やはり、何がどう「語り合えるかのよう」であるかを明確に伝えるべく番組を構成しなかったら、ディレクター、ライター(放送作家)の[プロフェッちょナル]な仕事とは言えまい。
by kawa-usso | 2010-12-17 14:36 | 雑感、いろいろ。


ササニシキ偏愛の米農家兼ライター/フォトグラファー。みやぎ石巻(本宅)&北東北いわて支局(通称:花巻小屋)〜長大な北上川河畔の南北拠点から、東北6県の[農林漁業と食住の文化]を観て聴いて報告しています。


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