いちばん近い海。
津波を受け、一部壊れながらも浮いていたカキ養殖いかだの上で。ロープが切れることなく残ったカキを、冬に向け育てる。カキを剥く加工施設も、海水をオゾンと紫外線で殺菌する施設も流された。「殻付きで出荷する以外にないと思うけど、なんとか育てたい」
追波湾まで、拙宅からは北上川に沿ってクルマで20分。
河口の南側に位置する長面(ながづら)。
小学校の頃は、海水浴といえばここだった。
偽りも誇張もない、稀有な豊穣の浦であることを再認識したのは15年ほど前。
春先に種ガキを海中に吊るすと、10月には食べごろに育つ(他の湾では2年かかる)。
外洋と浦とを結ぶ水路(澪=みお)の底からは、養殖でない完全天然のカキを採る。
薪の火で焼きハゼをつくる漁師がいる。
見て、聞いて、味わって、心が動く豊かさだった。
けれども津波でほぼ壊滅した長面には、足が向かなかった。向けられなかった。
かける言葉が見当たらない。何をどう話しかけていいのか、たずねていいのか。
ごめんなさい、怖かったのです。超絶的な一大事からだいぶ経って浜を訪れ、今更ながらに「心配していました」なんて言ってしまいそうな自分。復旧の力にもなれないくせに、無事な立場から都合よく言葉だけの気遣いを送っているふうに見えやしないか、怖かったのです。
地元の新聞から「長面の今を伝えてほしい」と依頼あり。腹をくくって、どこか断罪を受けるような覚悟で、彼の地を踏んだ(考え過ぎですかね。哂ってくださって結構)。変わり果てた浜で、魚ではなく、がれきを拾い集めて日当を稼ぐ漁師たちの中に、ずいぶんお世話になったお顔を2人見つけた。
「おー、ワタナベさん。生きてたか。梨の木(集落)、流されてしまったんじゃないかって思ってたよ」
まるで立場が逆のような第一声に、腰から下の力が抜けて座り込んでしまいそうだった。ごめんなさい。申し訳ない。こういう訪ね方しかできない自分を、どうか許してください。また足を運ばせてもらいます。なおもここで生きようとする皆さんを心から尊敬します。せめてその姿を伝え、支援に替えたいと思います。
上は数年前、撮らせてもらった漁師Sさんのご両親。焼きハゼ作りの名人。右のお父ちゃんは行方不明であったが、先日、見つかった。ありがとうございました。どうか安らかに。お母ちゃん、なんぼか安心したことでしょう。この写真を含めたプリントが、部屋の隅っこからごっそり出てきた。自宅も船も流されたSさんに、すべて進呈した。
これまでの長面浦に関する記事リンク
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by kawa-usso
| 2011-09-23 03:59
| 震災を越えて。