発覚から60年経つ公害病のこと。

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 身近にある、液晶が使われたツールを集めてみた。
 ノートPC2、タブレットPC1、ガラケー1、WiFi端末1、デジタルカメラ4。茶の間に行けばブラウン管時代に比べてはるかに大きな液晶テレビがあり、FAXや電話の親機・子機にも小さなディスプレイ。あ、クルマの運転席にもディスプレイはいくつもある。あらためて自分もその恩恵にとっぷり浸りまくりに違いない。事実として文明の利器。液晶の製造技術は世界じゅうでも数えるほどの企業しか有していないそうだ。その1つが、チッソ(現社名)という企業の一部門だったJCN。世界中で使われる全液晶の3分の1を製造しているらしい。
 チッソという企業は終わっているとばかり思っていた。営利生産事業の歴史を終えた、と。水俣病補償のためだけに存続していると聞いたからだ。でもそうではなかった。莫大な利が上がる部門を分社化し、現代を底支えするベーステクノロジーで広く深く、もはや分かちがたく根を張りめぐらせて生き続けている。JCNだけではない。チッソが母体となって旭化成、積水化学工業と積水ハウス、信越化学工業など、ケミカル素材をコアテクノロジーに据えた企業も生まれて存続している。近代日本の歴史と常に足並みを揃え、戦争の影で浮き沈みしながらも、史上最悪の公害病を引き起こそうとも確実にこれら素材産業は生きながらえてきた。

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事実を見つめて、考える場所。
そうしたことを、一般社団法人水俣病センター相思社の水俣病歴史考証館で初めて知った。

 九州旅の2日目に選んだ水俣市。案内人はきっと市立の水俣病資料館に連れてってくれると思っていたところ、たどり着いたのは、丘の細道を上りに上った、小さな屋根が並ぶこの館だった。遠くに不知火海がかすんで見える。事前にネットで見ておいた市の館に比べて、有り体に言えばなんと粗末なことか。でも敷地内の事務所棟も含めてていねいに維持し使い続けられ、静寂と落ち着きに満ちている。
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 館内の展示は、それはそれは生々しく克明。じわりと暑いのは、こもった炎暑と湿度のせいだけではなく、それらを観た生理反応もあるのではいかと思ったくらい。水俣病の歴史、病理の解説、原因追求と訴訟の経緯、事実の否認と隠蔽の積み重ね。報道資料。猫による実験が行われた小屋の実物。原告団が手に手に持った「怨」を染め抜いた黒い幟。健康と生命を蝕んだだけでなく、小さな家族・親族や村社会のつながりを切り刻み、連鎖する憎悪と差別を植えつけた。凄まじい破壊力。
a0118120_1524088.jpg 案内人がここに連れてきてくれた大きな理由は、公的施設よりも高い「温度」とリアリティ、ある意味で「誰かの息がかかってない透徹さ」が通底しているからだろう。館の名称を「資料館」とかにしなかった理由も、とても共感できる。単なる博物施設の名を与えられることで、水俣病が過去のものになってしまうことを回避したのだ。
 チッソ(現在の社名)という会社は水力などの発電事業を立ち上げ(1906)、その電力を利用し化学製品を大量生産するビジネスモデルで成長してきた。最初に生産したのはカーバイト(1907)。まもなく(1914)それを原料に硫酸アンモニウム(硫安肥料)の製造を始める。水俣湾へのヘドロの放出はこの時から始まった。硫安肥料といったら、拙宅には子供の頃から常備されている、袋の色さえすぐに思い浮かぶ肥料である。堆肥や人の糞尿で補っていた肥料を、成分で直接散布できるという変革が、高度成長期の食糧増産にどれだけ働いてきたかしれない。硫安の製造は比較的容易な応用でプラスチックの材料となるアセトアルデヒド製造にステップできる。触媒として使われた無機水銀が有機水銀に変じ、それを未処理で垂れ流した(1932〜)ことで水俣病は発生した。

行く末を誤らない方法はあるか。
 チッソに由来する企業の製品やサービスを改めて見ると、そのコアテクノロジーは腐らない、腐りにくい素材が多いように思う。ノスタルジーで言うわけではないけれど、そもそもの生活というもの、使いまわせる素材、最終的には腐って土に還る素材で成り立っていたメンテナンス型の社会だ。それが、「腐らない」「買い替える方が便利」という利点にずいぶん簡単に載ってしまったように見える。手っ取り早くて安上がり。ビニールクロスやプラスチックが「カラフル」で「美しい」という、まったくもって一方一面的な価値観にまで。購買する側は物欲を満たす快感も知って酔いしれたのだと思う。日用品だけでなく自動車や家までも今は消費財だ。でも壊した後の、「もう要らない」を言った後の、燃やすことも再利用もできない残渣は、この国のどこかに埋められていくのだ。道路、橋、鉄道といった社会資本さえも新設ばっかり増やしたせいで、メンテナンスの費用が絞り出せない声が耳に届くようになった。いつまでこんな道を走り続けることができるのだろう。
 だったら、である。自分にたいしたことができるとは思わないけれど、そうではない暮らし方もまた執念深く、愉しみながら実践していくことでカウンターを当てよう。それ以外にないのではないか。一度使い始めたものは、簡単にゴミにしない。ゴミにする時は、未処理や違法廃棄など言語道断。少なくとも直接環境を汚すことがない処理法に則って徹底する。山川森海に親しむ。身近な木や花を愛でる。食べるものの種を育ててみる。木や草、それらに由来する布のように腐る素材、ガラスや陶器など使い回しができる素材を選ぶ。可能な限りいつまでも永く使おう。そうしていくことが、亀の歩みではあろうけれども、水俣病を生んだ暮らし方から舵を切る道筋と信じたい。
 水俣病歴史考証館に、ドラム缶が4mの高さに積み上げられていた。水俣湾の汚染されたヘドロが堆積しているその厚みだという。いま水俣広域公園となっている場所がそうで、ヘドロ層は8mの客土の下に、海中ではコンクリート擁壁を築いて外の環境と隔離されている。
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 地域の自然環境と食を汚し尽くして招いたこの危機は、60年経とうというのに収束はしていない。何も学ばなければ、道をまた誤れば、どこかに水俣病は形を変えてあらわれる。といえば、福島第一原発事故もまた同じような道をたどっていると思えてくるし、実際そうではないだろうか。経済最優先の国策に載って、「使い捨て素材」とか目先の「安い電力」の生産で経済を回す。雇用と税収をぶら下げて地方を隷属させる。いざ取り返しの付かない事故が起こっても、その事実と責任を企業も行政も簡単には認めない。この間半世紀以上も、何の改善、進歩があったというのだろう。
 賢い生活者にならなくちゃ。新しく登場するテクノロジーや仕組みが信頼に足るものか、くれぐれも調べなくちゃ。権力を預ける人(与えるんじゃない。代行してもらうんだ)、生活の行く末を左右する人は、慎重に選ばなくちゃ。次の災禍は、未然に抑えこまなければならない。それは抽象的な杞憂では決してないのだから。
by kawa-usso | 2016-06-29 15:25 | 雑感、いろいろ。


ササニシキ偏愛の米農家兼フリーライター。みやぎ石巻(本宅)&いわて花巻(小屋)……長大な北上川河畔の南北拠点から、東北6県の[農林漁業と食住の文化]を観て聴いて報告する「じぶんメディア」


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