自前のルール。
基本的に書かない、口にしない、読まない言葉がある。
「本物」「こだわり」「プレミアム」「究極の」「グルメ」といった辺りである。
それらを真顔で使っていると思われる本は手に取らないし、記事は読み飛ばす。もちろん、ふだんの会話で使うことも、原稿で使うこともない。取材でお話をうかがう方への質問に使うこともない。あえて使うときは、「いわゆる〝こだわり〟」とか、奥歯にものが挟まったような書き方言い方をする。あるいはイジワルをして、その言葉自体を揶揄するために使うことはありうる。
「スロー」は、使う人によりけり。島村菜津さんという人は、著作をあ読む限り、とても真摯に追い求めている人だ。もてはやされ独り歩きした「スロー」に困惑し、行きつ戻りつ手探りしながら、「ふだん食」を含めて見つめながら各地を旅していることが感じられる。その他大勢が使う「スロー」の多くは、スルーしていい。
一つ一つを額面通りに信頼しない理由は、それぞれなのだが。
「本物」=何がホンモノかわからない。
「こだわり」=本来は悪い言葉、と金田一秀穂も言っていた。用例/「彼が原則論にのみこだわるから、話がちっとも進まない」。言葉の意味や使い方受け取り方は、時代によって変わるものではある。が、本来の意味を忘れて良い意味でのみ当たり前に使うのは、日本語の歴史を無視していることにならないか。
「プレミアム」=大事なのは高付加価値ではない。ふつうに手をかけた、ふつうにおいしいものを、再生産(作り手の生計が成り立つ、新たな生産に臨める)価格で買い支えること。その意味で儲けることは大事だが、激しい「あおり」とアドオンには明確に反対する。
「究極の」「グルメ」=大笑い。
そういえば誰かが儲けようとして登録商標とったものの、その言葉で儲けたいその他大勢からブーブー言われて諦めたとか噂の「LOHAS」というさんざんな新語もある。
これらの言葉をよく使う取材者は、同じ言葉を自認する店の人なり職人なりが相対すると、メリットはあるのだ。話が早い、仕事が早い。そうした言葉でたずね、返ってきた答えはまとめやすい。特に5W1Hを基準としてコンパクト(11字×42行とか2分30秒とか)にまとめる技が至上の新聞記事やテレビ番組にとって、「本物とは」なんて定義から考える発想はない。型をつくって、そこに沿ってレポートを進めるのが彼らの仕事である。ある意味誘導尋問。その型に当てはまらない人間(僕に言わせれば賢者である場合が多い)も少なくないということを知らないし、会っても無視するであろう。
話を聞くにも、聞いた話を書くにも、ふつうの言葉でよい。ふつうの言葉こそ良い。ほとんどそういう言葉で編まれた、砂漠の中のオアシスみたいな本もあるので、読みながら静かに夜を過ごしませんか。kawa-usso選は「暮しの手帖」「婦人之友」「季刊住む。」「季刊地域」「季刊うかたま」「考える人」。ライターで言えば、かくまつとむ、藤田千恵子、さとうち藍、渡辺尚子、瀬戸山玄(いずれも敬称は略しますね、面識ある方ではありませんが)といった方々が、まちがいのないところ。仙台なら、小山厚子さんと、西大立目祥子さん。
by kawa-usso
| 2011-02-18 21:01
| 手の仕事、表現。