季刊『住む。』2015年春号、ひとくぎり。
通巻で53号。これまでに14回の春と13回の夏、秋、冬が巡ってきた。
いま改めて創刊号を思い起こし、本棚から取り出してめくっている。13年という時間はひと昔前と言われるほどの年月。けれど誌に編まれているもの、こと、考え方はいま読んでもなんら古さを感じない。流行り廃りの世界とは、まったく別な不易の時間軸を、『住む。』という本は歩んできた。
この創刊号に、「自然の力を借りた手の仕事」という報告の場を与えられた。住まいのことが中心の本なのに、編集長はしばらくは食べ物を取り上げていくと言われる。しかも7ページ6000字分もの紙幅を割くと。『現代農業増刊』中での創刊案内には、「味噌づくりの話が7ページも続いているのは雑誌『住む。』の面目をかけた記事づくりです。(中略) 住むということは家の中に住むというだけでなく、その地域に住む(棲む)ということでもあります。『住む。』は、その土地の風土、食べ物を知ることで完結します。ときには着ることにも話は及ぶでしょう」と紹介されていることを知って背筋が伸びた。
さてその面目のかかった記事の取材。「味噌、もしくは醤油を選んでみたい」……編集長のお考えに、どこの、どんな味噌が良いかを、今ほどインターネットが充実していない時代に探した。いくつかの醸造元の製品を聞き及んで上げたのは、大手のメーカーではなく東北各地の中堅的な醸造元の、相応に素材や仕込み方を吟味したもの。それらを一度ご提案はしたものの、求められているところとなにかが違うような気がする。曖昧で確信はなかったものの、正直に編集長へお伝えした。
自分が気にかかったのは、同じ蔵元から出ている製品バラエティの多さである。見当をつけ選び出した製品の一方で、輸入大豆の搾り滓を使った非常に安価な製品からいくつもの価格帯の品がある。味噌・醤油とはこれほど多様でなければいけないものか?
もちろん、締め切りは迫っているのである。けれど編集長は「私もそう思います。もう少し探してみませんか」と言ってくださった。
「そうではない味噌」に気づいたのは、行きつけのジャズ喫茶での会話から。「うちでは近所の麹屋さんから仕込み味噌で買っているんですよ」とのマダムの話に膝を打った。そうだ、麹屋がある。米をふかして菌をつけ、麹として販売する。それを使った味噌も作り量り売りする。煮大豆に塩・麹をあわせたばかりの「仕込み味噌」は、配達された各家で熟成する「半・手前味噌」だ。
かくして記憶を頼りにたずねた宮城県岩出山町(現・大崎市)の麹屋さん石田商店は、実にシンプルでまっすぐな商売をしておられた。販売する味噌は熟成の浅いものと深いもの、のみ。「ぜひそちらのお店を」と了解が得られて訪ねたら、意図した以上に編集の方針に叶うお店だった。無農薬やプレミアムなどに必ずしも固執せず、ふつうに手に入る最良の地元産の米、大豆を使う。現金の代わりに米や大豆を、麹や味噌と交換できる。お客さんが自ら育てた大豆・米や粗塩などの持ち込み素材を、工賃だけで仕込み味噌に仕上げてもくれる。まちの暮らしとくっついた麹屋さんだった。
思えば、東京の出版界で自分を初めて使ってくださったのが、『住む。』の編元である。創刊以前に編まれた関連書『木の家に住むことを勉強する本』から、およそ15年間のおつきあいになった。当時はまだ長文の仕事歴がほとんどない、広告畑を主に歩いてきた馬の骨みたいな者(馬に失礼か?)に記事を任せるのは、相応に賭けを含んでいたはずである。
これまで送り出されてきた53冊の『住む。』は不器用なまでに、美しく暮らしやすい住まいとその価値観を、唯一無二の編集でメッセージし続け、編集長はその職を退いた。最敬礼とともに、ありがとうございました。そしてこの先もお声がかかったならば、どのようなお力添えも惜しみまないことを約束申し上げます。まずはお体を、どうかいたわってください。
いま改めて創刊号を思い起こし、本棚から取り出してめくっている。13年という時間はひと昔前と言われるほどの年月。けれど誌に編まれているもの、こと、考え方はいま読んでもなんら古さを感じない。流行り廃りの世界とは、まったく別な不易の時間軸を、『住む。』という本は歩んできた。
この創刊号に、「自然の力を借りた手の仕事」という報告の場を与えられた。住まいのことが中心の本なのに、編集長はしばらくは食べ物を取り上げていくと言われる。しかも7ページ6000字分もの紙幅を割くと。『現代農業増刊』中での創刊案内には、「味噌づくりの話が7ページも続いているのは雑誌『住む。』の面目をかけた記事づくりです。(中略) 住むということは家の中に住むというだけでなく、その地域に住む(棲む)ということでもあります。『住む。』は、その土地の風土、食べ物を知ることで完結します。ときには着ることにも話は及ぶでしょう」と紹介されていることを知って背筋が伸びた。
さてその面目のかかった記事の取材。「味噌、もしくは醤油を選んでみたい」……編集長のお考えに、どこの、どんな味噌が良いかを、今ほどインターネットが充実していない時代に探した。いくつかの醸造元の製品を聞き及んで上げたのは、大手のメーカーではなく東北各地の中堅的な醸造元の、相応に素材や仕込み方を吟味したもの。それらを一度ご提案はしたものの、求められているところとなにかが違うような気がする。曖昧で確信はなかったものの、正直に編集長へお伝えした。
自分が気にかかったのは、同じ蔵元から出ている製品バラエティの多さである。見当をつけ選び出した製品の一方で、輸入大豆の搾り滓を使った非常に安価な製品からいくつもの価格帯の品がある。味噌・醤油とはこれほど多様でなければいけないものか?
もちろん、締め切りは迫っているのである。けれど編集長は「私もそう思います。もう少し探してみませんか」と言ってくださった。
「そうではない味噌」に気づいたのは、行きつけのジャズ喫茶での会話から。「うちでは近所の麹屋さんから仕込み味噌で買っているんですよ」とのマダムの話に膝を打った。そうだ、麹屋がある。米をふかして菌をつけ、麹として販売する。それを使った味噌も作り量り売りする。煮大豆に塩・麹をあわせたばかりの「仕込み味噌」は、配達された各家で熟成する「半・手前味噌」だ。
かくして記憶を頼りにたずねた宮城県岩出山町(現・大崎市)の麹屋さん石田商店は、実にシンプルでまっすぐな商売をしておられた。販売する味噌は熟成の浅いものと深いもの、のみ。「ぜひそちらのお店を」と了解が得られて訪ねたら、意図した以上に編集の方針に叶うお店だった。無農薬やプレミアムなどに必ずしも固執せず、ふつうに手に入る最良の地元産の米、大豆を使う。現金の代わりに米や大豆を、麹や味噌と交換できる。お客さんが自ら育てた大豆・米や粗塩などの持ち込み素材を、工賃だけで仕込み味噌に仕上げてもくれる。まちの暮らしとくっついた麹屋さんだった。
思えば、東京の出版界で自分を初めて使ってくださったのが、『住む。』の編元である。創刊以前に編まれた関連書『木の家に住むことを勉強する本』から、およそ15年間のおつきあいになった。当時はまだ長文の仕事歴がほとんどない、広告畑を主に歩いてきた馬の骨みたいな者(馬に失礼か?)に記事を任せるのは、相応に賭けを含んでいたはずである。
これまで送り出されてきた53冊の『住む。』は不器用なまでに、美しく暮らしやすい住まいとその価値観を、唯一無二の編集でメッセージし続け、編集長はその職を退いた。最敬礼とともに、ありがとうございました。そしてこの先もお声がかかったならば、どのようなお力添えも惜しみまないことを約束申し上げます。まずはお体を、どうかいたわってください。
by kawa-usso
| 2015-03-21 23:01
| 本の話題と掲載誌。